※猫が亡くなった状態の具体的な描写を含みます
このブログでもたまに登場していた飼い猫が、7/28の明朝、亡くなりました。
享年13歳でした。この子が我が子になったのは2021年11月11日。
今回は、今の気持ちを綴りたくてこのブログを書くことにしました。全然まとまってません。
もし、大事な猫さんを亡くした方がいらっしゃったら、共感していただけるかもしれません。
思うままに綴ってみます。
亡くなった日の話
見つけた時間と場所
7/28の朝6時半のこと。その日は月曜日で仕事の日だったので朝いつものように起きました。私の家には2匹猫がいるので、近くで寝ていた猫におはようの挨拶をし、キッチンに向かいました。
もう1匹はここ最近ベッドの下にいることが多かったので、この時はまだベッドの下かなぁと思っていました。
私の家にはキッチンの横に棚があるんですね。人間が1人立って入れるくらい幅があってそこに棚板が備え付けてある場所なんですが、そこは涼しいらしくたまに夏場に猫さんが横たわっている場所。
イメージするなら、カプセルホテルみたいな。1人分のおこもりスペース。
いつものようにその場所を通ると、猫が顔を廊下に出して寝転がっていました。
今日はそこで寝てたんだね。昨日の夜はちょっと暑かったもんね。
と話しかけながら顔を見た時に、いつもと違う顔に違和感を覚えました。
名前を呼びながら顔を触ると、私の手に触ったことのない感触が触れました。
ふわふわしてない。感じたことのない硬さの口元と目元。濡れた毛。
え
すぐに抱き抱えて顔を見ると、目は開いたまま、紫色の下を口から出している。
黄緑色の水を吐いていて顔と首にべったりとついていた。顔は硬直して硬くなり、身体はまだ柔らかく冷たくないけど温かくない。室温と同じくらいになっていた。
うそ
動かない
顔と身体を力強く叩いても反応がない。名前を大声で呼んだ。
バスタオルを床に敷いて床に寝かせ、顔の液体を拭き取った。
そうだ、人工呼吸だ。
人工呼吸は、訓練で人間の模型でしかやったことがない。猫はどうやるのかわからない。
だって、うちの猫は死んだことがないんだから!
知らないよそんな方法。咄嗟にチャットGPTに聞いたら、口を塞いで鼻から息を入れて心臓を揉めとのこと。
口を塞いで鼻から力強く息を吹き込み、胸を強く押す。胸を押す回数は十数回程度。これを3セットほど繰り返した。反応がない。
その次に瞳孔の確認。その日は眩しいくらい晴れた夏の日。この子がいつも外を眺めている窓辺へ持って行き、目を太陽の光に当てた。
ここは、我が家で唯一太陽の光がが入る場所。サンキャッチャーが吊り下げてあって、家の中をキラキラにしてくれる、春夏のお気に入りの場所。
いつもキュッと細くなる瞳孔は、大きく開き真っ黒のままだった。
うそだ
死んでない!
お願いだから動いてくれ!!!!
病院に電話した
どこでもいいから今やっている動物病院を検索して一番上に出てきた病院に電話した。すると、女性の先生が電話口に出た。
「どうされましたか?」
その声を聞いた瞬間、涙がどっと溢れた。お願いだから何とかしてくれ、何でもいいからどうにかしてお願い。その気持ちでいっぱいだった。無力な私が情けなかった。
泣きながら言葉にならないような声で、今見えてることを全て伝えた。
朝動かない姿を見つけた、顔が硬い。口は固く閉ざされていて、紫色の舌がだらんと出ている、目は開きっぱなし瞳孔も開きっぱなし、身体はまだ柔らかい。黄緑色の液を吐いている。
先生は、うん、うん、と言いながら私の言葉を待ってくれた。
最後まで話を聞いた先生は、こう答えた。
「今すぐに病院に連れてきても、死亡確認だけになる可能性が高い」
もう生きていない。そう言われてしまった。何度も聞いた、もう無理なのかと。でも返ってくる答えは言葉は変わっても同じ意味だった。
「さぞびっくりしたと思います。今から数時間は猫ちゃん頑張ってくれるけど、そのあとは筋肉が緩んでくるから、クーラーの効いた部屋に寝かせてペットシートを敷いてあげてください。」
発見は6時半。そこから人工呼吸をして瞳孔を確認して病院に電話をかけたのが6時45分。電話を切ったのが6時48分。この20分余りの時間に初めてのことがたくさん起きた。
この子が死亡したと判断したのは私だった。
それでも仕事を休めなかった
その日は仕事の日。今考えれば、体調不良でも何でも嘘をついて休めばよかった。その瞬間はどうすれば良いかわからず、亡くなったばかりの猫をタオルとビニールに包み、冷蔵庫の野菜室の中身をどうでもいい場所にほっぽり投げて中に寝かせた。
そこからどうやって会社に着いたのかは覚えていない。会社に着いてデスクに座ってからも涙が止まらなかった。トイレに少しこもって、仕事をして、を繰り返しその日は何とかやり過ごして家に帰った。
人間はショックなことがあると、ルーティンでしか動けなくなるそうだ。まさにそうだった。なんでもルールに縛られる自分が嫌いになった。もっと柔軟に考えられる人間じゃないのはなんでなんだろう。
なんでもっと上手に生きられないんだろう。いつもそうだ。私はいつも生きるのが下手くそだ。
帰宅した家は非日常空間だった
亡くなった当日の夜家に帰った。いつも出迎えてくれるあの子の姿はなかった。ニャッニャッと鳴きながら近づいてこない。何か買ってきたのかを期待するキュルキュルの目がない。
夢じゃない。
そこに広がるのは非日常空間だった。
冷倉庫を開けると朝寝かせた猫が冷たくなっていた。まだ身体は柔らかかった。
吐いた液体がまだ顔と首についたままだったので、濡らしたタオルで拭いた。本当は洗ってあげたい。だけど調べたら、洗う→ドライヤーで乾かす過程で温まり、傷んでしまうからやめた方がいいと書いてあった。
黄緑色の液体は胆汁のようだった。お腹の中が空っぽな時に吐くと出てくる苦くてまずい液体。私も経験がある。独特のにおいがするのでやっぱり洗いたい。だってもし自分も顔の周りについたままだったらと考えると嫌だから。
ちょっと傷んでもいいから洗ってあげたい。
お風呂場に抱き抱えて連れて行き、首と顔を洗った。前に動物病院の先生がわけてくれた薬浴用のシャンプーで洗い、ドライヤーで完全に乾かした。身体は洗わなかった。だって、この子が自分で綺麗にしたんだから。自分の思うように整えたんだから、そのままにしてあげたかった気持ちと、この子のにおいが消えてしまうのが嫌だったから。
顔と首周りがシャンプーのいいにおいになった。固く閉じていた口は少し開きやすくなっていた。硬直が少し解けたようだ。目を閉じて舌を口の中にしまうと、苦しそうだった顔がいつもの寝顔と同じように穏やかになった。
亡くなった翌日
この日も仕事だった。朝冷蔵庫から出して抱きしめて、亡くなった現実に向き合う。昨日と違うのは体の硬さだった。昨日までは生きてるみたいに柔らかかったのに、今日は冷えてしまって硬い。
当然涙が止まらない。会社に着いて、涙を流すところは隠していたものの上の空だったのか、同僚には「体調が悪いのか」と聞かれてしまった。でも、絶対話したくなくて「なんでもない、元気だ」と答えた。
私とこの子の関係をそう簡単に話したくなかった。大切に大切にしたかった。
正直仕事のことなんてどうでもよかった。
帰宅後もこの子を抱きしめ、涙が止まらなかった。食事どころではなく水も喉を通らなかった。とてもきゃないけど気持ちが追いつかない。
というか、胆汁=この子も最後食事ができなかったことを考えると、私が何か食べるなんてそんなことしちゃいけないという思いもあった。
この子が最後に食べたのは3口くらいのちゅーる。いつも鮭のお刺身を買ってきたら一切れお裾分けするんだけど、その日はにおっただけで食べなかった。ちゅーるを口に近づけるとこぼしながら少しだけ食べた。
それがこの子の最後の食事になってしまった。
13年ぶりの譲り主さんへの連絡
この子は当時の地元のボランティアさんから譲り受けた猫だった。それは13年前の話で、そこからは連絡をしていない。LINEはまだ残っているけどもう覚えてないかもしれないし、LINEも変えてるかもしれない。そう思ったけど、一か八かで送ってみるとまさかすぐに返信があった。
覚えてくれていたようだった。
亡くなったことを受け入れられないことを話すと、「大事なのは幸せだったかどうか」と言ってくれた。私はこの上なく幸せだった。この子もきっと幸せだったと思いたい。
古いスマホから写真と動画を掘り起こす
私の怠惰の性格ゆえ、スマホを買い替える時は下取りに出していない。だから買い換えた分だけ溜まっていく。眠っていた6台のスマホに充電器をさすと全部復活した。
写真フォルダには、この子が初めて家に来た日の動画が残っていた。まだ足元がおぼつかない、よちよちした姿。スマホを変えるたびに年月が進み、気づくと大人になっていた。
「かわいい」と思った瞬間の写真が大量にある。スマホを下取りに出さなかった私、かわいい瞬間でシャッターを切り続けた私を、をこの時だけ褒めた。
火葬のハードルがものすごく高い
亡くなったら、やらなければならないのが火葬。私は賃貸住まいなのでお庭に埋めて土葬はできない。焼くしかない。でも焼いたら実体がなくなってしまう。実体がなくなれば本当のお別れになる。
キュルキュルの目も、黒くてシュッとしたまつ毛も、いつもドンっとぶつけてきてたおでこも、私が辛い時に思い切り吸い込んでたふわふわのお腹も、ほくろがある肉球と三角の耳のとこも、前の家で知らない間に欠けてた右キバも、シマシマでかわいいしっぽも。なによりこの子のにおいが燃えて消えてしまう。
それが考えられない。そんなの無理。
亡くなって3日目、強い後悔に襲われる
あの時に病院に行ってたら。あの時仕事を休んでたら。未来は変わったかもしれない。
この子は突然亡くなったわけではなく、予兆はあった。まず、1ヶ月ほど前から首を伸ばして乾いた咳をするようになった。同時期に同居猫も同じような咳をしていたし、この咳って13年間の間にもしてたことがあった。ホコリかな、季節が変わったからかな、加齢もあるかな、と思っていた。
あと、何よりこの子は病院が嫌いだ。わかってる、嫌がってでも病院は行かないといけない場所なんてそんなことわかってる。だけど、この子を迎えた時に決意したことがある。「この子にはこの先嫌な思いをさせない、うちに来たからには幸せな気持ちにさせてやるんだ」と。
この子は保護猫だった。当時おそらく3ヶ月程度。先住猫を譲っていただいた方から「もう1匹飼わないか?」と言われ、当時若かった私は「1匹も2匹も同じだ!飼う!」と譲り受けたのだった。
人間だって、嫌な場所と嫌な人には極力会いたくない。特に私は友達がいないので私の家に人が来ることは一切ない。そうなると、この子が会う人間といえば、最近引っ越して初めて会った動物病院の先生と年に一回来る消防点検のおじさん。
消防点検のおじさんは私でさえ覚えてない。
知らない人に会うのも触られるのも怖いし嫌。それは人間も猫も同じ。とにかく猫生で感じる「嫌」の回数を増やしたくなかった。
あと、「この子は私のそばにずっといる、絶対に死なない」そういう私の希望が強すぎた。この子は大きな病気をしたことがなかった。腎臓病にも皮膚病にも、歯周病にもならない。去年2回脱走した時だってマンションの4階から落ちてもケロリとしていた不死身なんだ。
しばらくすると咳をしなくなったけど、ご飯があまり食べられなくなっていた。カリカリは食べにくいようだったから缶詰や刺身、ちゅーるを差し出すと食べていた。少しお水も飲んで、うんちもしてた。
2匹いて同じトイレを使ってて、なんでこの子のうんちがわかるのか。そんなの、13年も一緒にいたらわかる。2匹分のうんちがどの見た目かなんて。あなたたちのことは世界中で私が一番知ってるんだから。
咳をしなくなったのは、治ってよくなってきたんだ。もう少し家でゆっくりすればよくなる。自分で回復できる。そう信じて疑わなかった。
調べた内容によると、咳をしなくなったのは治ったのではなく悪くなったから。咳をする力さえなくなっていた可能性の方が高かったようだ。
あの時嫌がってでも病院に行っていれば。点滴を打ってやっていれば。扇風機だけじゃなくてクーラーを効かせてあげていたら。朝、仕事を休んで人工呼吸を続けていれば。
状態をみると亡くなったのはほんの1時間前くらい。その時私は起きてトイレに行った気がする。なぜキッチンに行かなかったのか。キッチンに行っていればまだ蘇生に間に合ったかもしれない。
病院に行って先生に見てもらったらまだ死亡ではなかったかもしれない。
この子がキッチン横のおこもりスペースにいるのは珍しい。ここは今年の居場所ブームではなかったようで猫さんたちはいない場所だった。でもここは私が毎日通る場所。すぐ見つかるようにそこにいたんじゃないか。なのにその場所に行かなかった自分。もしかしたら、トイレに行く音を聞いて、「もう来る」と思って力が抜けたのかもしれない。ベッドで二度寝をした自分はなんて大馬鹿者なんだろう。
何度も何度も調べた。
顔が硬いのは死後硬直ではなく、仮死状態だったのではないか。
人工呼吸をもっと続けてれば生き返っていたのか。
人工呼吸とかする前にすぐ病院に連れて行って処置してもらっていれば生き返ったのではないか。
舌が紫なのは温めれば治ったではないか。
顔に冷たい水をかけていれば意識が戻ったのではないか。
諦めないでそのあと病院に行っていれば蘇生できていたのではないか。
瞳孔にもっと強い光を当てていれば反応があったのではないか。
鼻から小さくプゥーっと聞こえたのは生き返ったからではないのか。
死亡後人工呼吸で蘇生する割合は?
あの時どうしていればどうなったのか。
何回も何回も同じ質問をネットに聞いた。返ってくる答えは同じだった。
あなたの猫は亡くなった可能性が高い。今の医療では一度なくなった命を吹き返すのは不可能に近い。もし病院に行って奇跡的に息を吹き返しても、自宅に帰れた可能性は1〜5パーセントだと。
あの状態では自宅での蘇生は難しかった、仮に気づいて10分後に病院に行ってすぐ処置をしても、自宅に帰れる可能性は0に近かった。
行き場のない、誰にも言えない気持ち。どうしても折り合いがつかない。理解ができない。意味がわからない。亡くなって、体を綺麗にして火葬する。そんなの無理だった。追いつかない気持ちをどうにかするため、オープンチャットLINEに相談した。
私には友達がいない。何かあった時に相談するのはお互い顔と素性の知らない人と決めている。今回はペットロスのチャットがあったので相談してみた。
「火葬に踏み出せない。傷むのはわかるけど、実体がなくなると本当の別れになるので今は踏み出せない、背中を押してくれないか」そう相談した。
こんな返事が返ってきた。
火葬ではなく土葬をしては。
辛いのはわかるが今は夏場なので傷む、火葬をしてあげて。写真をいっぱい撮って、その子だけではなくてあなたも写って、それがこの子の生きた証になる。
毛を少しずつもらって残してます。
手形足形スタンプ・粘土を取ってます。
その子が着てた服をお供えして嗅いでます。
同じ境遇の方々からいろんな意見をもらった。
亡くなって4日目
この日の朝、手形足形を残すことにした。
昨日の仕事終わりにスケッチブックとアクリル絵の具を買ってきた。スタンプ用のインクがなかったので絵の具にした。あと、毛を保存するジップロックとお手拭き、保冷剤と保冷バッグも。
冷たい系は、最後の日に一緒に寝るため。
火葬の前日の夜に、先住猫と私と3人で寝ようと思ったから。
朝起きて、粘土をこねて鼻型足型をとった。それから、スケッチブックにスタンプした。前足後足と鼻もやった。
この子の肉球はほぼ黒。でも片方の前足の薬指だけ、ピンクでほくろがあるところがある。そこはもう白くなってしまい、握り返してもくれない。
いつも爪を切らせてくれなかった後ろ足も力無く冷たくなっている。
涙が止まらなかった。
その日は、動画も撮った。3人で撮る最後の動画だ。終始泣いていた。このあと仕事をしないといけないのは私の頭では意味不明だった。会社では私がいる意味なんてひとつもないから。
帰ってから、先住猫と2人で動画をとった。これから命日の毎月28日に動画を撮ろうと相談したら異論はなさそうだった。
この日はまともに起きていることができなかった。いつものスーパーでワインを買った。今週まともに食べなかった体には細部まで染み込んだのか、気づいたら寝ていた。大事な猫とは全然関係ない過去の夢を見ていた。
亡くなって5日目
そして、今日は土曜日だ。
今日火葬場に電話をして、今日か明日焼いてもらう。昨日までそう思っていたけど、どうしても無理だった。この子と離れることが考えられない。
今日は、違う色で手形足型鼻型をとった。もうちょっと爪ももらった。どうしても離れたくない、一緒にいたくてたまらない。もちろん動画も回した。泣いてばかりだった。
今日火葬場に電話する話は明日になった。明日、聞いてみよう。来週末ダメって言われたら再来週にしよう。どうか開いていないって言って欲しい、そう願っている。これが8/2の土曜日の今だ。
虹の橋に送る準備
虹の橋とは架空の場所。ペットの動物が飼い主よりも先にお空へ旅立った時に、飼い主がそちらへ向かうまで待っていてくれる場所だ。
そこにいくと、病気もなくなるし食べたいとか喉乾いたとかもなくなる、幸せな場所。飼い主が亡くなったら再会できる場所だそうだ。
そこには同じ境遇の動物がいるらしく、同志が楽しく過ごせる場所らしい。もし虹の橋に行った時に笑われないように、体毛を切り取るのは最小限にしようと思う。だってハゲができてたら恥ずかしいから。
あと、虹の橋に行く道中にお腹が空くとか疲れちゃうかもしれないから、ちゅーるとカリカリと、またたびの粉と爪研ぎのかけらと、猫じゃらしとお花を持たせることにした。手紙は持たせない、だってこの子は字が読めないから、声と触覚で生きた子だから人間のルールは知らないし教えてないから。
お花は、赤い小さなバラとピンクのスイートピー。花言葉は感謝、再会、優しい思い出。近所のお花屋さんにはなさそうだったから少し街に出たお花屋さんに聞いてみよう。
ちなみに虹の橋の区画に、雨降り地区という場所があるらしい。飼い主が泣いた涙が雨となり、飼っていたペット冷たく降り注ぐそうだ。
考えたけど、雨降り地区が大半なのでは?晴れて幸せな場所にいるっていう子はそんなに多くないんじゃないの?
飼われた動物の来世は人間
諸説によると、飼われた動物の来世は人間のようだ。来世のために、人間の生活を予習しにきたらしい。
私の生活はこの子の目にどのように写ったのだろうか。仕事で一杯一杯になり、週末には泣きながら酒に逃げる。時に記憶をなくして翌朝の机には空缶の山。日曜日はベッドの上から動かない。こんな自分をいつもだれかのせいにしていた私。この子は私のこんな姿を見てどう思っていたのだろうか。
情けない、バカげてる、そう思ってたのだろうか。
もし、来世人間になるのが本当なら。あなたのまま生きて欲しい、あなたらしく、そのままで。誰にも左右されず、媚びなくてもそのままの姿で十分愛されるから。
明日は8/3日曜日。火葬場に電話をする。果たしてできるのか。
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